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FF のことについて乱暴に書いたらいろいろお叱りをいただいてしまいました。すいません。
が、もう少し書きたいと思います。今回はやや冷静に。
何がそんなに頭に来たかというと、単に自分が面白いと思ったものを批判されてるからというわけではないです。そうじゃなくて人が一生懸命作ったものを安易にクソゲーだとかいってボロクソに書く無神経さが許せない、という感じです。それはもちろん、僕がしょぼいながらもクリエイターというところに起因しているように思うけど。
よく、何か人が作ったものを批判すると、その批判された人はまるで人格攻撃されてるような気分になるといいます。それに対する反論として、それは作品に対する批判であって、その人に対する批判ではないからそうやってダメージを受けるのは被害妄想だ的なロジックが持ち出されることが多い。
しかし僕はその反論こそが間違いだと思う。一つは、実際に人格攻撃されているように感じてる人がいるという事実があること、もう一つは、人が作った作品というのは、その作り手が「良い」と思ったことを精一杯に表現したものであり、それはその人の価値観そのものだから。だから、作者が批判されると、自分の価値観が批判され、人格を攻撃されたように感じるのです。
なので、人が作った作品が安易な批判にさらされてるのを見ると嫌な気分になる。作品を批判するということは、その作り手に対して想像以上のダメージを与える行為だから。(でも、自分もそうしてることも多いと思う。そういう矛盾を抱えながら日々生活している感じがあります。)
FF のことに話を戻すと。
今までの FF と違うから駄目だ、と言ってるひとは作り手の人たちが、なぜいままでと違うものを作ったかということを考えたことはあるのか。あの要素、この要素がだめだといって低いスコアをつけてる人たちは、なぜ作り手の人たちがそういうふうに作ってみたかを考えたことがあるのか。何年もの時間をかけて丁寧に作ってきたものが、安易な批判にさらされている、そういうものをみたクリエイターの人たちがどう思うか、考えたことはあるのだろうか。
そういうことを考えてゲームをする人は少なく、判断に使われるのは自分が面白いか面白くないか感じたことだけ、というのは確かにその通り。
でも、少なくとも Amazon のレビューのようなところで、その作品を「駄作」とまでレッテルを貼るからには、もっとその作品について時間をかけて見てからにするべきなんではないか。全部が全部のレビューが悪いとは思わない、中にはちゃんと長い時間プレイしてそれでも駄目だったというレビューもある。でも、明らかにこの人はまともにプレイしないで書いてるというのが多すぎる。発売してから2日か3日であれだけのレビューが集まってるけど、その中に時間をかけてプレイしたものがどれだけあるんだろう。そういうのを見てると悲しすぎる。(だいたい、確かにその人が期待していたものとは違ったかもしれないけど、世の中にある数多のほかのゲームに比べた場合に、誰がこれを駄作と言えるんだろうか。)
この間ある漫画雑誌の編集の人に聞いた話。2ちゃんねるで自分の作品をボロクソに叩かれて、それから二度と漫画を書けなくなった、そういう人が結構いるそうだ。批判されるのが嫌なら見るな、確かにそう。でも、批判してる側は、その作者が作品を生み出せなくなるほどダメージを受けているということを考えたことがあるのだろうか。そしてその作者が二度と作品を生み出せなくなって、誰が嬉しいのだろう。
良い作品を生み出すのは難しい。ましてや完璧な作品を生み出すのは至難の業だと思う。だから、どんな作品にも欠点はある。でも欠点以上に良いところが多ければ、まずはそんな良い作品を届けてくれた、そこに感謝するべきではないのか。お金を払ってるかどうかは関係ない。目立つものだろうが目立たないものだろうが、そこにある欠点をついて、この作品は駄目だと言うのは簡単だ。駄作だと言うなら、その作品は駄作であると断定するだけの思慮を張り巡らせてから言って欲しい。
...とまあこんなことを書いておいてレビュワーを安易に批判してる僕も同じようなもんだな、というオチがあるんだけど。
併せて津田さんの http://xtc.bz/index.php?ID=272 も読んでみてください。僕が言いたかったことを的確に言い換えてくれています。自分で書くより人に言い換えて貰った方がいいとはなんとも情けない話です。すいません。
その作者を嫌いな人々。その作者が消えたことでチャンスを得た人々。
天樹征丸日記 - 何かを生み出していきたいという気持ち http://d.hatena.ne.jp/seiama/20051023#1130030716
あと、他人を批判(not批評)ばかりする人には、ろくな人がいない気がします。(大方伝聞・一部経験談)
天樹征丸日記 - なにやら反響が大きいので http://d.hatena.ne.jp/seiama/20051020#1129783959
あと、批判を受け入れ次に生かそうと思う気持ちと、これは譲れないと思うことを貫ける意志も、クリエイターとして重要なんではないかなあ。
つhttp://d.hatena.ne.jp/a666666/20060315/1142404391
偉人に近づくことや、似せることだけでは何も良くならない。
それを越えようとすることで創作は進化する。越えようとすることは
偉人のダメだった部分を良くするということです。賞賛は立ち止まることであり、批判は後退と前進の両方の意味があると思います。
理屈で良い悪いという見方もありそれも正当ですが
感情論で楽しかった。楽しくなかったというのも1つのファクターです。
プログラマとしては当然前者ですが。
エンタメとしては後者です。
理屈で楽しむ人も居ますが、世の中の大部分は感情で楽しむわけで
そういう人にとっては理屈ベースの評価よりも感情ベースの評価の方が共感できるかと考えて、感情的な評価を基本にするように心かげています。
批判することは悪いことではないと思います。
一つおたずねしたいのですが、今のゲーム業界でユーザーが批判しなかったら
どこが批判するのですか?雑誌のレビューや評価はメーカーとなれ合って
機能していないのが現状です。
普通のサラリーマンだとゲーム制作の現状よりもっと厳しいことを面と
向かって言われることもあります。
あなたの言うようにみんながほめることしかしなかったら腐ってしまうと思う。
泥沼の様相ですが、あとでもう少し書きます。
映画も批評を見ているとそういう人は多いですよ。
言いたいことが伝わらないもどかしさはあるでしょうが、
あんまり負の感情の中にいると、知らず知らずのうちに引きずられるので
ほどほどに~~
又、ゲーム自体がきわめて感情的な部分で行われる行為であって、ネット上で
匿名で発言される誹謗的な意見を0にするというのは不可能だと思います。
あなたの言ってることはネットのマナーに関することになるのでは無いですか?
それは ゲ ー ム に限った事では無いと思います。
少なくともあなたがクリエイターという立場を明らかにした時点で
批判はしないでと言っているように聞こえますが・・・・。
脊髄反射をネットに書き散らす輩が居たとして、それが唯の罵倒でもなんでも、それ自体がまた話の肴となり不特定多数に突付きまわされて喧々諤々あるわけで。作品もそれに付随する評価も野次馬にとっては等価だし、詰まるところそれで何が問題なんだと思うわけよ。
もう見ればわかるんですよ、「あー、こいつプレイしてねーのに適当なこと言ってるや」って。
安易な批判。悪意ある批判。結構なことじゃないですか。それだけ反響があるという作品を作れたというのは凄いことだと思いますよ。
『見知らぬ誰かに好き勝手に言われる』というのは、作品を発表する立場の者にとって覚悟して当然のことだと思ってましたけど。
そんなに悪く言われるのが嫌だったら、そのクリエイターは批判に聞く耳持たなければいいでしょう。
それは自己正当化に続く危うい道だと感じますがね。
そのクリエイターはどうしてそのようなシステムを作ったのか考えてほしい、というのは・・・実際どの程度のクリエイターがその考えを持っているかは僕には分かりません。
しかし、買い手が考えたところでそれは空想でしかないし、考えや経緯、苦労は分かりません。そんなものを気に入らなかったモノを買うたびに考えさせられるのも御免です。
そもそもゲームのクリエイターのコトだけ考えるのでしょうか。今現在、人間の周りにあるものは全て、誰かが考え作ってきたものです。あなたはモノに不満を持ったことを誰かに言うときに、いつも作り手の気持ちを良く考えてから発言するのでしょうか?
この話とは関係ない、と思うかもしれませんが、そんなゲームのクリエイター限定でこの日記を書いたのなら、それはただの擁護か方便でしかありません。ゲームクリエイターだけが特別扱いされる要素もありません。
この後にもある、他の作品と比べた時、誰かこれを駄作と~という部分やよい点の方が多ければ、などにも読み取れますが、意見の押し付けが過ぎる気がします。
まるで誰もが冷静に比べれば、駄作に感じない。誰が見てもいい点の方が悪い点より多いと言ってるかのようです。感謝を捧げるべきとかお金は関係ないとかもそれに、拍車をかけているように思います。
あなたが全ての購入商品に感謝をささげてるとは到底思いませんし、損得勘定全くなしの仏だとも思えません。どの話もFF12限定でものでしかない。そのようなことはただの偽善ではないかと。
そこでこの作品は5年の制作期間があったと聞いている、そんな5年が何故こんな薄いシナリオに収まったのか?前情報を大量に集めた自分から言わせてもらえばシナリオを変えざるえない何かがあったように思えて仕方ありません。発表時のコメントと本編との不合意も多々ありました。
それを踏まえた上でシナリオを変えざるをえない理由と延期の最もな理由を発表すれうば批判は多少収まるでしょう。
作品を生むというのは批判を生むということであり、批判がひどいということは作品がひどいということではないとおもいますが、自分がこの作品をプレイした上で言えることはシナリオに関してはかなりの期待以下だったということです。
後味が悪いので褒めるところもたくさんあったがそこを取り上げないのアンチです。
そのような社会は程度の低い社会だからです。
それに、自分の狭い範囲の意見だけを垂れ流すような人は能力が低い人です。
ゲームだろうが仕事だろうが、適応する能力がある人が人間としての高い能力を持っている人だからです。
程度の低い人ばかりが増えた、程度の低い社会にはなって欲しくないものです。
逆に言えば、程度の低い人が言っていることに、一喜一憂する人も、程度が低い人だと言えるでしょう。
どう言った立場の人(人格、そのものに対する姿勢、年齢など)が、批判したり、最悪、馬鹿にしたりしているかを考えれば、それに対する正しい対処法も生まれやすいです。
程度の低い意見も、馬鹿にした意見も、そう思っている人が存在すると言う観点から見ることができるためにです。
他の立場の人を狙っているため無視するなり、このような立場の人にも分かってもらえるようなシステムを構築するなり、単に馬鹿にしているだけの人だから無視するなりしやすくなるはずです。
どちらにせよ、その意見を言っている個人、集団がどのようであるからを正しく理解できる能力は、他人の立場に立って物事を考えることですので、素晴らしい能力であると思います。
もしその能力を得ることが難しいのであれば、無視するなり、怒りをぶちまけて終わりにするなり、妄想に逃げ込むなり、現実に適応できる別の対処法を身に付ける必要があると思います。
結局、馬鹿にされると言う現実を変えさせるのは難しいですし。
自分よりも大きなものには従わざるを得ません。
無理なら、無謀に等しい戦いを挑むなり、社会的に抹殺されるなりされるしかないと思います。
しかし、ゲームとは批判を受けやすいものであること、遊びであるため単純に楽しいか否かだけの意見を受けやすいものであると言う現実を考えれば、意見を言う側よりも、意見を受け取る側がどうにかする方が楽であると言うのが現実だと思います。
特にこのインターネット時代では、過去とは違い、雑誌に掲載されるなり、手紙を送るなりしなくても、簡単に程度の低い悪い意見も、程度の低い良い意見も、目に付く場所に表れるため、受け取る側の意識改革の方が重要であると思います。
現実に適応するにはそちらの方が遥かに効率的かと。
最後に、偉そうですいません。
どうしてそのようなシステムにしたかを理解できれば、今まで楽しくないことが、楽しく遊べるようになれる可能性が増えます。
より良いゲームの楽しみ方に適応することができると言うわけです。
先入観に支配されたり、遊び方に気付かないと、より良い遊び方が出来なくなると言うことです。
アンリミテッドサガみたいに、あれを理解するのは一般的に難易度が高すぎる!!と言うのもありますので、作り手側の能力の理解させる力と、受け取る側の能力の理解する力で決まるだけなんですけれども。
それでメシ食ってる人間の言うセリフじゃねーや。転職したら?どうせ転職先でも同じことでしょうけど。
奴は黙ってろ」みたいな書き方しちゃあね
FF12はこれだけ戦闘などの「ゲーム性」に特化してるのにそこを褒めないで演出やシナリオ、キャラクター側をあれこれいうのは、何だかんだいってシナリオ重視を求めている証拠であり、あるいは要はFFをただ中傷したいだけに思える。
あと、例えば誰か一人が「ヴァンの声優ヘタ」とは、「スターウォーズみたい」と言うと、馬鹿の一つ覚えみたいに蔓延して、実は大して考えてないくせにそーゆーことを言うヤツが増えることに悲しさを覚える。
ゲームでもblogの文章でも何でもいいけど、それをプレイしたり読んだりした上で
的確な批評をするというのはとても難しいものであるということがよく分かりますね。
どういう人が何を書いたかすら理解していない人すらいるし。
悪口書きたいだけの人もいるってことでしょうかね。
便所の落書きはもはや2chだけにはとどまらない。
最近は考えなしに、書き込む人が多すぎ・・・
そうゆうのを気にしないのが一番ですが、
やっぱ気になってついつい見てしまうのが人間です。
いつからクリエイター様は個人の思想や言論の自由にまでケチつけられるほど偉くなりました?
They don't try to be all things to all people.
They have an attitude.
- from the book "Getting Real" by 37signals.
叩かれる = 明確な姿勢を持った、best な作品だとも受けとれる。
でも、ゲームはもっとみんな(社会)に評価されて欲しい、もっと褒めてあげて欲しいって気持ちは俺も大きいけどね。なのにゲーム好きッコが、自ら自分達の環境の評価を下げてどうするよ、ってねぇ?
いかん訳ですか。
金を払ってゲームを楽しみたい人間がクリエイターの狙いをそんなに
忖度しなきゃいけない理由ってなんですか?
駄作と判断する前に考慮すべき、何か絶対的な判断基準が有る訳ですか?
評価する所はしているじゃないですかあそこのレビューも。
グラフィックにケチをつけている人間はほとんどいませんね、戦闘システム
とキャラクタとストーリー、そんな所じゃないですか。ケチついてるのは。
頭ごなしにクソゲーって書くだけのレビューはスルーすべきですよ。
むしろFFってこんなにレビュー集まる位人気有るんだな、と思って私は見て
ましたがね。
クリエイターはユーザーのことを考えねばなりません。どうすれば楽しんでもらえるか、どうすればやりやすくなるのか、どうすれば喜んでもらえるのか。それでお金を貰うのです。
ユーザーは別にクリエイターの労力、苦悩等にお金を払うわけではなく、完成した作品にお金を払うのです。まずここを認識しなければ、ろくな作品は出来ないでしょう。あんなに徹夜してつくったのに! あんなに頑張って考えたのに! あんなに苦労して作ったのに批判するなんて許せない!!!
随分クリエイターは偉くなったものですね。ユーザーを楽しませてなんぼです。楽しませられなかったら批判を受けるのは当然。それで潰れるなら、それまでの作り手だったいうことでしょう。我をとうし批判を受け入れられないのですから。潰れなくても、それより上になることは出来ないでしょう。
それに批判されて潰れるのは小説家でも漫画家でもいくらでもいます。
むしろ彼らのほうが重圧です。小人数で作っているわけですから。
ここにゲームクリエイターの苦悩はあると思います。大人数で作るため、ここはこうしたほうがいい、と思っても修正できず、上の命令には逆らえず……こんな状態で批判をうければ、「わかってるよそんなこと! でもどうしようもないだろ!上がだめだっていうんだから!」
同情の余地はあります。どうも見ているとスクゥエアエニックスにはこの問題が大きいような気がします。客を楽しませようというまえに、自分(一部の一握りの人)が作りたいものありきなのじゃないでしょうか。そういう作り方をすると、はまる人と、まったくはまらない人がでます。楽しませるありきだと、そんなことはそうそう起こりません。ゲームを作っているというより、現代芸術を作っているという感じなのでしょうね
ながながとすみませんでした。当方も業界はちょとちがいますが作り手の一人です。別にユーザーが言っているのであれば書きこむことはなかったのですが、書き手がクリエイターだということで書かせていただきました。
2ちゃんで叩かれて創作出来なかったクリエーターなんてもう二度と出て来て欲しくないし辞めて正解。
そういう者は本来書き手に回るべきでない人々だから。
どんなに製作者が頑張っても、受けなければ、何もやってないのと同じ。
自分が最高だと思ってもそれは単なる自己満足。他人にとってはゴミ同然。
それを理解しないといけない。
クリエーターも大きく分けて2種類ある。
自分の価値観を生かし自分自身の為に作る芸術タイプか、自分の価値観をいかに殺して他人の為に創る娯楽タイプか
ゲームはプレーヤーが介入するエンターテインメントだから後者の方が相性が良いだろう
FFは元から芸術色が強い傾向にある。FF8の延々と長い召還ムービーを飛ばせない仕様なんて製作者の傲慢そのもの
DQの堀井氏は逆にプレーヤーが煩わしいだろうと思うところはどんどん排除したそうだ。
主人公は喋らないし、徹底的にプレーヤーを遊ばせるように創られている。
その結果が国内の支持率がDQに及ばない要因の1つなのだろう。
最もFFは200万本は売れたようだし、商業的に成功してるんだから良いんじゃないですか。
クリエーターの立場としては、批評なんかより、売り上げ本数を稼げればそれで良いと思います。
必要以上に稼ぐ必要は無いですが、活動を維持できる最低限の結果は必要です。
最大の目的は「物を創る」ことでしょ?その環境の維持出来るか否かですよ問題は。
どんなに叩いてもボロクソに貶されても、正規品を買ってさえ頂ければ十分です。
プロの作品は作品である前に商品ですから。
それに魔美のパパも言ってるじゃん。見る側が好き勝手ほざく自由と同様に、それをどう受けるかの自由もあるって。無視したっていいし糞野郎共が!と怒ってもいいし。
実にシンプルな話だと思うんだけどね。
結局はこういう事なのかな?道徳的な話になるわけだけど、必要以上の悪口はいらないっていう奴。ここのコメントには「クリエイターの擁護」って言う人もいるけど、例えば友達が何か作って、それ一生懸命作った事を知っててそれが自分から見てどうでもいい出来の悪いモノだったとき、「どうでもいいモノ作ったね」なんてまずいわない。それは擁護とかじゃなく単に悲しませたくないから、あるいは関係を崩したくないから。そんな感じで道徳・倫理的な配慮を持てと。そういう意味での「クリエイターの事を考える」という事。
まぁこれは結局僕が思った事でしかないから本当にnaoyaさんや津田さんの考えてることともまた違うんだろうけど。
精根が違う!
理想が違う!
決意が違う!』
てなかんじでな、昔のクリエイターはエロイわな。
FFに関しては、商品としての側面が強いので「クリエイター」とか言われてもねえ。クソゲだろがなんだろが、(2ch含めて)煽りまくって売ってるんだからゲーム内容を批判されても痛くも痒くもないだろ。
クソゲーと言って、書き込む時点ではまってるよ。たぶん。
本当につまらない作品だったら、そんな労力つかわないね、僕は
5年200億かけ、いろいろな狙いがあって一生懸命作ったものでも、つまらなければ「クソゲー」ですし、30分で作ったものでも、面白ければ\8,990出して買って悔いなし、です。
同様に、「時間をかけてプレイしてから」批評しなくてはいけないでしょうかね?最初の30分でつまらなければ、ユーザーはそこで投げてしまうのですから。ただの30分もユーザーを捕まえておけなかった、ということに過ぎないでしょう。
・作り手の都合、心情を忖度せよ
・きっちり遊んでから評価せよ
というのは多分にクリエイター寄りの考え方のように写りますね。
個人的には、FF12自体は決して「クソゲー」ではないとおもいますが、ユーザーがFFシリーズに対して持っている期待を裏切ってしまったのだろう、と思いますが。
ここの人みたいなアホの選民思想を助長するだけなのになぁ~
ユーザーは対価を払って商品を購入しています
対価を払っている以上批判する権利も有していると考えるべきでしょう
そう言う常識ともいえる部分に熱くなっちゃってるここの人は専門学生か何かなのかな?
かく言う私も後はラストダンジョンを残すのみって感じですが、今の所糞以下の作品ですねw
脚本と演出はド素人なのかな?
全編にわたって「僕の考えたカッコいい台詞・画をミロ!!」って感じがバリバリで笑わせてもらいましたwwww
主人公いらないじゃんwwwwwwww
>ユーザーは対価を払って商品を購入しています
>対価を払っている以上批判する権利も有していると考えるべきでしょう
こちとら自腹じゃって言えば何でも言えるなんて思ってるヤツはチョン以下。
世の中にある批評全てが、優れた物である状況は起こりえない事。批評はそれを読む側がいて成り立ち、読む側にもある種の絶対値ではない「質の差」があって、批評というシステムの優劣は双方の平均点である事。批評自体にも批評が重ねられる事は、批評というシステムの特性から見てとても素晴らしい状態だという事。
そんな事を読みながら考えていました。
むしろ安易に批判するなって方がよくわからない、誰のために?思い込み?
本当によくないと思う人が居るならもっとその思想を広げていくべき。
ネットなんかではそうでもないことが多いけど、波風立てればそれ相応の反応があるもんだよ。
批判する奴だって同じ、批判した奴はほぼ間違いなく批判される。
で、それははじめに波風立てた「製作者」ってのにも当てはまるんだろうね。
そんな世界において波風が防げないから「こんなことやってられない」なんて…ちょっと弱いよ。
ゲーム業界なんて狭き門。の最高峰のスクエニ。んなトコに居る方が「批判された、もう作れない」なんてね。
作る前から批判されることはわかってるんでしょう、どんなに面白かろうが。
ならば受け止めるべき、もしくは見ずに保身に走るべき。
個人的には、後者が良いゲームを作れるとは全く思えないしある意味で責任を全うしたとも思えない。
相手は200万人だよ?200万人。数は暴力って誰でも知ってる。開発当初から解かってたんだ。
私は、スクエアエニックスの社員さんにはその暴力を受け止め、更なる成長をされることに期待してます。
ちなみにFF12嫌いじゃないです。ストーリーはないほうがマシだけど楽しいよ。
クソって言葉を使ったいう評価に、嫌悪感。
どうせ、そのゲーム少しでもプレイしたんでしょ?って感じ
人の感想求めて、同じに思ってる人がいるって安心したいのかな。
とりあえず、批判と意見て全然違うものだと思うんだけど、
更に、感想って違うものじゃない?
それで今ここを見ていて感じたのは、沢山の人の書き込みの内容もためになると思うのですが、やはり真剣に他人の意見と向き合い意見しているという
この”真剣”が大切なのかな、ということです。
まったく正反対の意見同士であれ、真剣に意見していると感じられました。
このような場を見て、色々なことを考えられると思います。
そしてその考えはきっと千差万別で、その千差万別がさまざまな創作の個性に
なるのかと思います。
つまり大事なのは真剣に向き合うということなのかなぁ・・・・
今のwebの状況がよりよくなるには?という問題と
批判に対しての問題とがごっちゃになっていますが
それは根っこの部分では繋がっているからなのかな~とか思います。
つまり”今の状況の何が問題なの?”て意見が一番問題だと思います。
今の自分の書き込みもそうですが、naoyaさんや複数の人は悪意のある批判という問題を通り越して、
web上のあらゆる悪意の問題にまで達しているのでしょう。
じゃあ、その悪意を無くすにはどうすればいいの?
自分は”どうするかを考え続けること”が重要だと考え、
”つまり”今の状況の何が問題なの?”て意見が一番問題だと思います。”
という書き込みをしました。つまり考えないことが問題だと。
ちょっと誤解を招きやすい言葉でしたね・・・・すみません。
そしてこれは先ほどの”今のwebの状況がよりよくなるには?という問題”の
自分なりの考えです。
そして自分も批判はあって然りだと思います。
それでも、批判の裏にある悪意に嫌悪を感じるのは当たり前だと思います。
一クリエイターに人の理由のない悪意なんて消すほどの力もないし、
構っている余裕もないでしょう。
やはり他人の意見がなんであれ、揺るがないのがプロなのでしょう。
それこそ悪意のある批判すら笑って跳ね飛ばすくらいに。
それでも、webをよりよくするには?という考え、その姿勢は大事だと思います。